2004年の7月。
僕は、大学の先輩たちと一緒に
地元大阪から北海道の最北端稚内(わっかない)まで、青春18きっぷだけを使って(=鈍行だけで)旅行する!
という、壮大で無謀な計画を思いつきました。
「鈍行(どんこう)」とは?
普通列車のこと。
JRにおける普通列車とは主に
・「普通・各駅停車」と呼ばれる列車
・「快速」の文字が入る列車(新快速、特別快速など)
の2つのことを指す。
予想される所要時間は、片道3日間!!
(実際は寄り道などで片道6日かかりました)
実際に旅行は決行され、無事に稚内までは着いたのですが
長期間、連日長時間の電車移動により、僕のメンタルは一時的に崩壊してしまいました。
今回は、同じような壮大な旅行プランを考えている学生さんなどに向けて
あの日の記憶を、書き記しておきたいと思います・・・。
もくじ
壊れゆくメンタル 壮絶な18きっぷの旅12日間の記録
それでは
この旅の、具体的な12日間の旅程を振りかえっていきましょう。
1日目:よせばいいのに
わざわざ福井・金沢・富山と、時間のかかる日本海ルートで北海道を目指す。
終電ギリギリで新潟駅到着。
駅前のカラオケボックスで夜を明かす。
本来は駅のホームで寝る予定だったので
まだまだ、メンタルもフィジカルも余裕。
2日目:新潟からも、ひたすら日本海経由で青森を目指す。
すでに疲れがたまってきており、移動中の車内でも全員が熟睡ムード。
メンバーの中でも特に個性的な顔といわれていた先輩が
さらに輪をかけて個性的な寝顔をしていたところを、地元の女子高生にクスクス笑われながら携帯のカメラで写真を撮られる。
本来なら注意するべきところだが
「この顔なら、撮りたくなる気持ちもわかるわ・・・」と笑う。
青森~函館間はフェリーで移動。
「鉄道でここまできたら、船で渡るのが流儀だろ!」
と、わけのわからんこだわり。
深夜便があるので、宿代わりにもなるのでありがたいのだけれど。
しかしこういったハードな移動により、徐々にメンタルが蝕まれていくのである・・・。
3日目:函館から札幌まで鈍行の旅。
特急なら3時間半くらいで移動できる距離だが、鈍行で行くと10時間くらいかかる。
いや、おかしいやろ・・・
(参考:大阪~東京まで鈍行で約9時間半)
定山渓(じょうざんけい)にあるライダーハウス(主にツーリングする人たちが泊まる宿)に宿泊。1泊500円。
人間の数の10倍くらいの数の虫がいた。マジで。
頭の中では常に「ナウシカ・レクイエム」(ランランララランランランってやつ)が流れていた。そんな世界だった・・・。
4日目:男4人というムサ苦しいパーティのくせに
なぜか富良野、美瑛(びえい)などカップルやファミリーで行くような場所ばかり回る。
美瑛駅のベンチで寝る。
かっこよく言うと「ステーション・ビバーク」。
5日目:旭川から稚内へ、偉大なるローカル線「宗谷本線」で!
なぜか音威子府(おといねっぷ)の駅そばが、ものすんごく美味しかったことを強烈に覚えてる。
疲れた体には、こういう素朴な食べ物が身に染みるのだ。
ついに稚内に到着!
美味しいウニ丼大盛りに舌鼓。久々にちゃんとした宿で、ふとんで眠る。
6日目:稚内まで着いたということで緊張の糸が切れたのか、この辺で精神的になんだかおかしくなる。
利尻島へ行くという先輩たちに
「これ以上どこへ行こうというのですか?もう帰ります!」
と、天空の城ラピュタのムスカに似た捨て台詞を吐き半ギレして、旭川行きの列車に乗り南下する。
7日目:「もう帰ります!」とキレてたくせに、なぜか旭川から真っ直ぐ札幌に向かわず、網走・釧路・帯広をぐるっと回り、道東を満喫する。
「せっかくここまで来たんだし」が主な理由。
とりあえず、1人になりたかったんだろうか・・・。
8日目:トマムを経由して札幌へ。
札幌では「北海道・東日本パス」を購入。
北海道・東日本パス
18きっぷと同じく、鈍行しか乗れないがJR線が乗り放題のきっぷ。
その名の通り、西日本などでは使えないが、かつては札幌と青森を結ぶ急行列車だけは追加料金無しで乗れたなど大きなメリットがあった。(現在も発売中)
夜は急行「はまなす」に乗車。
列車が宿代わり。
目を覚ませば、そこは青森だった・・・(*゚◇゚*)
※青森と札幌を結んだ夜行急行「はまなす」。
かつては、自由席なら北海道・東日本パスだけで乗れた
9日目:青森から東北本線で南下。
この頃は、まだ八戸まで国鉄時代のディーゼルカーが走ってた。
夜は一ノ関駅前で野宿。
近所のヤンキーが集まってきたので、猛ダッシュで逃げ出し、どっかの公園で寝る。
10日目:一ノ関からさらに南下する予定が、なぜか寄り道して大船渡線(おおふなとせん)に乗る。
猊鼻渓(げいびけい)の川辺で水浴びをした記憶が。
子供のようにはしゃいでいたような気がする。
すでにメンタルは限界に近づいていたのだろう。
特に目的もなく、終点の盛(さかり)駅まで行く。
東日本大震災の影響で、現在は盛までは鉄道は通っていない(気仙沼~盛はバスのみ)
「今のうちに乗っておけ」という、神様からのスピリチュアルメッセージでもあったんだろうか・・・?
この辺から記憶があいまい。
たぶん、仙台のカプセルホテルかなんかに泊まった気がする(ヤンキーが怖かったから野宿はやめた)
11日目:仙台から、わざわざ遠回りの常磐線(じょうばんせん)に乗って東京を目指す。(いわき・水戸経由)
※当時の仙台~いわき間は、まだこんな電車が走ってました。(455系。写真はwikipediaより)
地震の影響で長らく常磐線の東京(上野)~仙台間は分断されていたが、2020年には全線復旧するそうで、とってもうれしい。
東京で一泊したはずだが、記憶はまったくない。
なんとなく歌舞伎町で良くないことがあったような気がするのだが、このまま忘れていたほうがいいのかもしれない・・・。
12日目:「静岡行き 普通」の文字を見て、恐怖感を覚える。
おそらく、この時点でメンタルが崩壊。
まだ1、2回分残っていた18きっぷを金券ショップで売却。
「のぞみ」に乗って大阪へさっさと帰る。
その後数日間の記憶は無し。
当時はバイトもしてなかったので、2、3日はずっと寝ていたはず・・・。
宿でテレビを見る機会もほとんどなく
手持ちの携帯電話も、インターネットがまだ使えなかった頃なので
この旅行中に起きたことは、ほとんど帰宅後に知る。
この期間中、大好きだった作家の中島らもさんが亡くなっていた。
合掌。
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旅が終わった後、私はどのような生活を送ったか
この長い長い旅を終えた後、私はどのような生活を送ったのか?
振り返ってみることにしましょう。
「普通」の文字に恐怖を感じる
「『普通』が怖い」
というと、なんだか中二病みたいな感じに聞こえますが・・・。
あの旅以来、半年近く
「普通(各駅停車)」「快速」
という文字を見ると、なぜか恐怖を感じるようになりました。
別に、頭で考えて何か怖いっていうんじゃないんです。
体が、勝手に拒否反応を示すんですよね。
乗ろうとすると、足がカタカタ震えたりすることもありました。
旅行(電車で移動する)自体に抵抗感を感じることはなかったのですが
大阪~京都間(42.8キロ)という
快速ですぐに行けてしまうな距離でも、新幹線や有料特急(サンダーバードなど)を利用する始末・・・。
幸い、通学中にはそのような症状は起きませんでした。
夏休みが終わったのが9月の後半だったので、症状がおさまってきていたからなのでしょう。
座って電車に乗るのが怖い?!
旅行中は、ずっと座ったまま列車に乗っていました。
言い換えれば「ローカルな路線ばかり乗っていたので、立つほど混雑していなかった」ということです。
普段は通学でラッシュの時間帯に乗っていたので立ちっぱなし。
このことから
電車に立って乗る=日常生活の出来事なので何も感じない
電車に座って乗る=あの旅を思い出してガクブル!!
という、摩訶不思議な公式が出来上がってしまい
座って電車に乗ることが怖くなってしまいました・・・((( ;゚Д゚)))
今ではさすがにそれはないですが
僕には「降りる駅の1、2駅手間まで来ると、立ち上がる癖」があります。
振り返ってみると
この癖は、あの頃からでてきたものだったかもしれません・・・。
ハードな長旅には痛みがつきもの!
このように、ハードな(やりすぎな)長旅では後遺症のようなものが現れることがあります。
でも、若い人たちには
この痛みに恐れず、ガンガンハードな旅に挑んでもらいたいものです!!
若くない人は
絶対にやらないように!
なぜなら
どうなるかは、僕にはわからないからです・・・。
僕は、現在35歳。
今同じようなことをしても、無事に帰ってこれるのだろうか・・・。