※いわゆる「赤レンガの東京駅」。丸の内(中央線・山手線などのホーム側。皇居方面)の玄関口だ
東京駅の象徴である「赤レンガ」。
近年、大正時代の開業当時の姿に生まれ変わり、今でも多くの人々に愛されています。
しかし、この赤レンガ。
実は国鉄からJRへ生まれ変わる際に、地味に大きな存続の危機にさられていたのです・・・!!
バブル経済で追い込まれた赤レンガ駅舎
JR東日本の副社長・会長などを務めた山之内秀一郎氏の著書「JRはなぜ変われたか」に、こんな文章があります。
「国鉄当時、そしてJR東日本発足直後もどちらかというと、あの建物(注:赤レンガの東京駅)は壊して新しい駅ビルを建てたいという意見の方が社内では有力だったのではないかと思う。事実、JR東日本が発足して間もない頃に『東京駅に新しいビルを建てたらこんなに利益が上がります』というプランを見せられた記憶がある。」
「JRはなぜ変われたか」(山之内秀一郎・著)より
国鉄が民営化されてJRになったのは、1987年の4月。
この年は
日本の保険会社が、ゴッホの絵画「ひまわり」を53億円で落札したことが象徴するように
日本はバブル経済の真っ只中。
(「ひまわり」は、今でもバブル経済の象徴として扱われることがあります)
バブル経済の頃の日本は
「儲ける事こそが正義」
という風潮が日本を覆っていました。
(その反動で、現在の日本ではいまだに「金儲けは悪いことだ」と考えている人が多いのかも・・・?)
さらに
バブルの影響で土地の価格は高騰し
「山手線の内側の土地代だけで、アメリカ全土を買える」
という、決して100%ウソとも言い切れないような名言(?)も生まれました。
千代田区にある東京駅は、その中でも一等地。
赤レンガのような天井の高い建物を壊し、何階建てものビルを建ててそこにテナント(お店)を入れれば、相当な収益を得ることができたでしょう。
さらに。
国鉄がJRになったのは、国鉄がとんでもない額の借金を作ったのが主な原因。
JR各社で借金を分けて返済することになりましたが
JR東日本は3兆3000億円もの借金を背負い、利子だけでも毎年2300億円を返済をしていくという、絶望的な借金生活を強いられるスタートとなったのです。
・バブルで世の中は「金儲けが正義」という風潮だった(=文化的なものを残すという風潮も今より希薄)
・土地代の高騰により、東京駅は大きな利益を得られるチャンスだった
・JR東日本はとんでもない借金を抱え、少しでもお金を稼いで返済したかった
という
赤レンガにとってはあまりにも強い逆風が襲っていたのです。
まさに、サスペンスドラマでいえば「崖に追い込まれた犯人」のような絶体絶命の状態。
いったい
どうやってこのピンチを切り抜けて、赤レンガは生き残ったのでしょうか?
※東京駅八重洲口(新幹線ホーム側)。丸の内口もこんなビルになっていたのかもしれない・・・?
宿敵?アートに救われた赤レンガ駅舎
赤レンガが救われた最大の理由。
それを一言で表すならば
「赤レンガを取り壊せなくなるような既成事実を作った」
ということ。
具体的には
「ピカソ展という展覧会を開催した」
のがきっかけです。
赤レンガのような建物にピッタリなのが、アート。
このアート展が好評を博せば、おいそれと取り壊しができなくなるだろうと考えたわけですね。
実際にフランスの鉄道の駅で、使わなくなった歴史的な駅舎を美術館に模様替えしたことで建物が存続したという事例があり、それをヒントにして開催されたそうです。
このピカソ展は赤レンガとの相性が良く、もくろみ通り好評を博し、さまざまな芸術家からも出展をしたいという申し出が殺到したとのこと。
極めつけは
ピカソ自身が「二十世紀最後の巨匠」と称えた世界的に有名なフランスの画家バルテュスが、このピカソ展に来場した際に
「私が日本で展覧会を開くならここだ」
と赤レンガを絶賛し、のちに展覧会が実現したという事。
世界の巨匠のお墨付きをいただいたということもあり、JR社内でも「赤レンガを取り壊す」という流れはだんだんとなくなっていったといいます。
赤レンガをピンチに追い込んだバブル経済の象徴である「絵画」が、皮肉にも赤レンガを存続の危機から救った・・・といえるでしょう。
今も気軽に味わえる「赤レンガ×アート」の世界
アートに救われた、赤レンガ。
現在でもこの流れで
赤レンガに「東京ステーションギャラリー」という美術館があり、多くの人に愛されているのです。
日本を代表する一大ターミナル駅で
今でも気軽に味わうことができる「赤レンガとアートの世界」。
東京駅を利用する機会があれば
一度、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?